ファンカデリックやジェームス・ブラウンといったファンクだけでなく、ヨーデルやスティーリー・ダン、果てはフランス語教材までもサンプリング・ソースとして使用し、ヒップホップ文化がもっていた”何でもアリ”精神を拡張させた伝説の1stアルバム『3フィート・ハイ・アンド・ライジング』<トミーボーイ>。
このアルバムの影響は凄まじく、このアルバムがなければ現在のヒップホップは全く違ったものになっていたでしょう。

デ・ラ・ソウルはヒップホップの革新ばかりをめざしていたわけではありません。「バディ」(『3フィート・ハイ〜』収録)でオールド・スクール超定番「ハートビート」を用いていたり、2nd『デ・ラ・ソウル・イズ・デッド』(トミーボーイ)からのヒット・シングル「ローラー・スケイティング・ジャム・ネームド・”サタデーズ”」が往年のローラー・ディスコを想起させるパーティー・チューンだったりと、オールド・スクールの精神=ヒップホップ元来の姿を受け継いできたグループでもあるのです。
そういったベーシックな部分が確立されているからこその1stの雑色性や、3rd『Buhloone Mindstate』(1993年)での高木完やスチャダラパーのゲスト出演 —ヒップホップはN.Y.だけではないことを世界中にプレゼン! 、4th『ステイクス・イズ・ハイ』(1996年)でのジェイ・ディー(後にJ ディラと改名)やDJ スピナ(シングルにリミキサーとして参加)といったアンダーグラウンドで活躍していた先駆的プロデューサーのいち早い起用などが光ってくるワケです。
「燃えよドラゴン」をサンプリングしレッドマンを迎えた1stシングル「Oooh」がグラミー賞ノミネートされるまでの高い評価をえた5th『アート・オフィシャル・インテリジェンス:モザイク・サンプ』(2000年)や<トミーボーイ>から離れ<サンクチュアリ>から発表した『グラインド・デイト』(2004年)など常にそのプロダクションを発展させていっているデ・ラ・ソウルはオールド・スクーラーでありながら常にアドヴァンスドな活動を続けるグループでもあるのです。
山崎祐貴