sonarsound tokyo 2006. Advanced Music and Multimedia Art

 

初期衝動、そこから生まれる新しい音楽たち
[2006-10-04, Itaru W. Mita]

そこで模索されているものは明らかに初期衝動であり、DJカルチャーの黎明期にその根源をなしていたのはヒップ・ホップだった。sonarsound tokyo 2006はどうやらそこに立ち返ろうとしているようだ。

 すべては同じ方向を指し示している——エレクトロクラッシュの果てに現われたアシッド・ハウス・リヴァイヴァル、バリアリック回帰を強めるイタロ・ディスコ・リヴァイヴァル、レイヴやアーリー・テクノ、プログレッシヴ・ハウスがほとんど原型のままフロアに返り咲き、マッシュ・アップの人気が衰えないことも、DJカルチャーの勃興期にサンプリングという方法論が多大な起動力を与えたことをストレートに想起させる。現在のシーンを動かしている要素はつまり、ハード・ミニマルやビッグ・ビートによって過去のものとなってしまった種々のスタイルであり、それらがほぼ出揃った状態だといえる。第1世代にとっては、それはとても懐かしいものであり、ミッシー・エリオットやダフト・パンクを聴いて育った世代には新鮮な響きを有するもの……らしい。どのように感じるかはともかく、そこで模索されているものは明らかに初期衝動であり、DJカルチャーの黎明期にその根源をなしていたのはヒップ・ホップだった。想像がつかないという人もすでに多いだろうけれど、DJカルチャーが社会現象と化していった80年代末はデフ・ジャム・ショックやデイジー・エイジが、いわばメンタリティの核をなしていた。起爆力と、その平和的でサイケデリックな変奏である。2006年のソナーサウンド・トーキョーはどうやらそこに立ち返ろうとしているようだ。ローラン・ガルニエ風に問えば「我々はどこから来たのか(……知っておく必要がある)」(©パスカル)というやつだろう。良くも悪くも、それは自意識と呼ばれるものであり、「ブリング・ザ・ノイズ」(パブリック・エナミー)も「アシッド・トラックス」(フューチャー)も「ストリングス・オブ・ライフ」(デリック・メイ)も、来年でリリースから20年を迎えるということは、つまり、そういうことに違いない。18歳とか19歳という年齢は、青春の真っ只中でありながら、なぜか苦しいものなのだ。
「ブリング・ザ・ノイズ」と「アシッド・トラックス」と「ストリングス・オブ・ライフ」——つまり、ヒップ・ホップとハウスとテクノはいまではすっかりそれぞれの専門家によってルーツを意識しながら聴かれる音楽になっている。様々なジャンルの音楽を聴くという人はいるし、実際、ナズやミッシー・エリオットがサンプリングした「アパッチ」(インクリディブル・ボンゴ・バンド)をスウィッチことデイヴ・テイラーがハウスに転用したり、バスタ・ライムスがダフト・パンクをブレイクに使ったりという例はいまでも数多く認められる。しかし、ヒップ・ホップもハウスもテクノもまったく見分けがつかなかったという状態を経験することは、それこそ初期衝動がそれらを上回っている時にしか経験できなかったことだ。デ・ラ・ソウルの「セイ・ノー・ゴー」がアシッド・ハウスだと思われていた時代。コールドカットの音楽性を誰もはっきりとは指し示すことができなかった時代。アシッドがブリープと読み替えられ、「LFOたちがやっていることはすべてデトロイト・テクノがすでにやっている」とデリック・メイが毒づいたかと思えば、「ストリングス・オブ・ライフ」のマネをしたつもりの808ステイトが「パシフィック」を大ヒットさせてしまった時代。そう、すべては同じ方向を指し示している——。
 最も初期衝動を露わにしているといえるマッシュ・アップからはすでにレイディオ・スレイヴやゴー・ホーム・プロダクションズといったスターが生まれている。デインジャー・マウスやディプロも同じ波に乗っている。それらと競うようにしてリ‐エディット盤を量産し続けるハウス系のDJたちは、ディスコ・ミュージックの正統に自らを位置づけようと、いわゆるレア・グルーヴ運動に邁進しているようにも見えなくはない。20年前にファンクで試みられたことが、ヒップ・ホップにとってのポテンシャリティへと転じたことを、ここでは思い返すことが建設的だろう。しかし、とりわけ活発な様相を呈しているのは、やはりヒップ・ホップである。レゲトン、チカーノ、サウスサイドのクランクからベイ・エリアのハイファイへ。さらにはブラジルのバイレ・ファンキからイギリスのグライムやダブ・ステップと、なにがどこでどう繋がっているのかもよくわからないほど、ストーリーは早くももつれ始めている。バイレ・ファンキとグライムを繋いでいるのはマイアミのディプロである。ボルティモア・ブレイクビーツからスパンク・ロックを引き揚げたのもディプロが先導するホラートロニクスで、クランクとスパンク・ロックを同じ鍋に放り込んだのはフランスのTTCやドイツのモードセレクター。かつてはDJクラッシュと同じような視線で見られていたはずのDJシャドウは、そして、ハイファイへとすかさず乗り換えたらしく、エイフェックス・ツインのやることを常に先取りしてきたルーク・ヴァイバートも何やらおかしなことになり始めている。DJバクがTTCにサインを貰っていた姿もそういえば付け加えたい。
 80年代後半のヒップ・ホップでもすべてのことは同時に起きていて、ディプロやスパンク・ロックの遠い先祖だといえる2・ライヴ・クルーとデ・ラ・ソウルが同じ年にアルバム・デビューを飾っているとはなかなか思えなかったりするものだ。多様性というものは、それを解きほぐしていく過程で新たなシーンを次々と立ち上げていく可能性のことだとしたら、ディプロやエリオット・リップ、あるいはシロー・ザ・グッドマンでさえ、すっきりとした視点で語ることはすでに不可能に近い。繰り返してみよう。DJカルチャーが社会現象と化していった80年代末はデフ・ジャム・ショックやデイジー・エイジが、いわばメンタリティの核をなしていた。起爆力と、その平和的でサイケデリックな変奏である。2006年のソナーサウンド・トーキョーはどうやらそこに立ち返ろうとしているようだ……。

三田格(エッセイスト)
text by Itaru W. Mita(essayist)

 

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